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坂本竜馬が一番強いでしょう。後は桂小五郎→沖田総司→土方歳三、近藤勇?は田舎剣士だし高杉晋作は精神論ではすごい人だった様ですね。坂本竜馬と桂小五郎はどちらも江戸の有名だった道場の師範で実際に戦った事も有った様です。(坂本竜馬(千葉道場)が勝ったと思います。)

*司馬遼太郎さんの竜馬が行くを読んでみて下さい。

"真剣"に、ではなく"真険"に戦ったら、間違いなく坂本竜馬はフトコロのピストル、ブッパなすと思う。
ブッパなした瞬間、沖田、高杉は心臓マヒ、桂はタマより速くトンズラ、近藤は前歯にタマがあたる。

江戸幕府14代征夷大将軍の徳川家茂に対して、長州藩士の高杉晋作が「よっ、征夷大将軍!」を野次を飛ばしたという話があります

後世の作り話だとか、本当の話だとかは置いといて、どうしてこれが"野次"にあたるのですか?


だって、本当に家茂は征夷大将軍なんですよね?
事実を叫んだだけのようにしか思えないのですが。。

高杉晋作はもともと尊皇攘夷派でした。おもしろきこともなき世をおもしろく。のブログにも載っています。
そして徳川家茂は「征夷」大将軍です。征夷とは名前の通り蛮族を討つことです。
それなのに、幕府は開国して諸外国と不平等条約を結んだりして、
攘夷活動をやめてしまいました。
形式的とはいえ天皇に「征夷」大将軍に任命してもらったくせに、
あんたは蛮族(ここでは諸外国)征伐をしないヘタレだ、
「征夷大将軍」というのはただの飾りじゃないか、
征夷大将軍ならちゃんと「征夷」を実行しろ
などという意味で晋作は野次を飛ばしたんでしょう。
単なる「将軍」ではなく、あえて「征夷大将軍」と言ったのもそういう理由です。

さらにこの時の行列は、一度も禁中から出たことのなかった当時の孝明天皇が
攘夷祈願のために自ら賀茂両社に行幸したときのもので、
将軍家茂を初め諸侯も従って行くようにとの命を受けて参加していました。
そういうタイミングだったからこそ、高杉晋作はそう叫んだんでしょう。

他の方々の仰るようにものすごく失礼だというのもそのとおりなのですが、
さらに加えて上記のような理由から言ったと思われます。
実際、幕末における征夷をしない征夷大将軍のありかたを、表立って批判したりはしなくても、
問題視する人々(特に攘夷派)はかなりいたようです。

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このページは、freeplusが2010年1月26日 13:09に書いたブログ記事です。

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